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2018.8.15 今週末までお盆休みの予定です。
昨日、近隣の町営屋内プールで久しぶりに泳いでみました。(一応25mは泳げます。 )と言っても水泳をきちんと習ったことはありません。
そこで水泳教室に通っている子供に「ちょっと教えてよ」と言うと、「まずね、死体になったつもりで浮いてみて」と言われました。
大笑いしましたが実際にやってみると、あら不思議きれいな姿勢で浮きました!
アドバイスって大事だわ~と思った次第です。
力を抜いて浮く、よりも死体になったつもりで。
この夏、機会がございましたらやってみて下さい!
2018.8.12

建築のどの段階で植木屋さんを呼べばいいのか分からない、と時々質問されます。
更地の状態の時もありますが、今回は竣工まであと約4カ月というタイミングでご連絡を頂きました。
さてお施主さんが途中、ご実家のお母様に質問することがあり、ご自身のスマホからご連絡をされたのですが、その言葉の美しいこと美しいこと。
例えば、 「今日はそちら(ご実家のこと)にいらっしゃる?」などです。
私より10歳はお若いと思われる女性ですが、自分の祖父母の会話を思い出してしまったほどです。
「あ、私だよ。来週、泊まりに行っても平気?」等と母に電話している自分が恥ずかしくなりました。
聞き耳を立てていることも、相当恥じるべき行為であります。失礼いたしました。
2018.8.10 シュウメイギク

台風が去り、再び朝からムワ~ッと蒸し暑い日です。
「暦の上では立秋っていってもねぇ・・・」とも思うのですが、シュウメイギクの蕾はこのように膨らんできましたし、萩の勢いも止まりません。(私は萩を株の根元からかなり切りボリュームを減らし花を楽しむようにしています。)
そして朝晩の風が秋の匂いになっていて驚きます。
土の匂いがなんとも秋です。
年々、視力は衰えていきますが(老眼の進行!)、嗅覚は冴えていくのでしょうか。
写真のシュウメイギクは、川砂利を敷いた雨落ちから毎年出てくるど根性系です。
2018.8.7 お手入れ後の樹木

2日前の恐ろしく暑かった日の現場です。(お手入れ作業)
東京都内にあるお宅です。
通り側から夫が撮ったもので、塀の向こうがご自宅です。
「あ、このお宅、いいわ~、この住宅街に似合うわ~」と思う方も多いと思われる外観です。(もちろん建物内も本当にすばらしい。)
そして、そう思われた方のおひとりが、こちらのお宅を設計・監督された建築家の堀部安嗣さんに依頼されたそうで、現在こちらのご近所に新居を建設中。
お散歩するのが楽しそうな住宅街です。
2018.8.5

昨晩、花火大会の花火を見上げながら子供が「やっぱり花火はきれいだね!」と言いました。
なので、日記に書くつもりでしょ〜〜?と聞くと「へへへ、もう書いちゃった!!」と言うのです。
そして「だって、花火は絶対にきれいなんだもーん」と笑っていました。
段取りがいいのとも違う!
2018.7.31 再利用後 その1

敷地内にゴロゴロとあった石を、写真のように土留めとしました。
お施主さんのご実家で大変広い庭園の為、管理が大変ということで樹木を大幅に減らし植栽スペース自体も削りました。
小さな枯山水もあるお庭でして、設計段階ではお施主さんも「いらないので壊してくださって結構です。」と仰っていたのですが、その後そのお施主さんから「娘に、おじいちゃんとの思い出の池だからなくさないで欲しい、って言われちゃって」と変更のお願いがありました。(おじいちゃんは他界され、娘さんは成人しておられます。)
どんな思い出かも気になりますが、そんな風に思われるおじいちゃんが羨ましい!!と思いました。
2018.7.30

左の方に見えるのは鳴門大橋、橋の向こうは淡路島。
ですのでこれは夕日ではなく朝日です。
神奈川県の山側で育ち、現在は茨城県の山側に住んでいるからなのか、海からの日の出や日の入りに大変感動します!
帰りの飛行機はちょうど日没時刻でした。しかし何も考えずに席を予約した為、自分たちとは反対側の窓から素晴らしい夕焼けが見えガックリでした。
そちら側の皆様は興奮していました。
私はその隙間からチラチラと盗み見ただけです。
その悔しさから「西から東に帰る時の夕日は左側!!」と覚えました。
天候、時刻、座席、この3つの幸運が重なる日を夢見たいと思います。
2018.7.27 昨日伐採した赤松

ずっと見守ってきたのですが復活してくれることはなく完全に枯れてしまい、危険なので伐採しました。
夫は今私達が住んでいるこの家を建てる時、赤松の幹を近くで眺めたいなぁと言っていました。
その時私は「この人、何を言ってるんだろう??」と思っていたのですが、昨日この赤松がなくなってやっとその感覚が理解できました。
樹齢100年以上の赤松、その幹の大切さ。見どころを失ったかのような眺めになっています。(他の木に失礼!)
そしてつい先ほど、赤松の画像を探している時にふと「なんだか死んじゃった大切な人との写真を探しているみたいだなぁ」と感じました。
自分にとってそんな存在の木であったと今、気づくなんて。
一方夫は今朝、淋しくなった場所を改めて眺め「やっぱり何か植えよう、植木屋でよかった~」と言っていました。
私より前向きです。