2018.7.27 昨日伐採した赤松
ずっと見守ってきたのですが復活してくれることはなく完全に枯れてしまい、危険なので伐採しました。
夫は今私達が住んでいるこの家を建てる時、赤松の幹を近くで眺めたいなぁと言っていました。
その時私は「この人、何を言ってるんだろう??」と思っていたのですが、昨日この赤松がなくなってやっとその感覚が理解できました。
樹齢100年以上の赤松、その幹の大切さ。見どころを失ったかのような眺めになっています。(他の木に失礼!)
そしてつい先ほど、赤松の画像を探している時にふと「なんだか死んじゃった大切な人との写真を探しているみたいだなぁ」と感じました。
自分にとってそんな存在の木であったと今、気づくなんて。
一方夫は今朝、淋しくなった場所を改めて眺め「やっぱり何か植えよう、植木屋でよかった~」と言っていました。
私より前向きです。